«1966年(昭和41年)〜1975年(昭和50年)»
現代表取締役 赫 規矩夫(てらし きくお)は、昭和32年大学卒業と同時に金銭登録機や計算機を輸入し販売している「日本アレン金銭登録機械株式会社」に就職いたしました。その後昭和40年11月に、同社は全国の各営業所を独立させ同社の地域販社にするという組織改正により、同社の仙台営業所も「東北アレン株式会社」として独立し、本社役員兼務のまま同社の代表取締役として仙台に赴任、3ヶ月後の昭和41年2月には親会社の株を買い取り独立いたしました。
独立を契機に事務機器の訪問販売の他に消耗品によるリピート販売にも着目いたしました。当時は、キャッシュレジスターや計算機に使用する消耗品である記録紙(ロールシート、レシートにも使う)を専門的に取り扱っている業者がないこと、将来的にも消耗品ビジネスとして継続できると考え、昭和41年2月12日、「高速記録紙株式会社東北店」を資本金500千円で設立いたしました。本社は仙台市柳町34番地に置き、宮城県を中心に営業を開始しました。
仙台市に本社を置いたのは、早晩東北にも新幹線が通り、高速自動車道路も開通するなどインフラが整備されることは間違いなく、そうなると今後の東北の発展の余地は大きく、また巨大な関東のマーケットも近くなると考えたからです。
当時は全国的にスーパーマーケットの店舗展開がなされ、第一次発展期を迎えた時期でありました。当社の扱っていた記録紙の販売も、拡大するスーパーマーケットをユーザーとして順調でありましたが、記録紙というのは大きなスーパーやデパートでも1ヶ月に使用する量はたかだか知れており、将来的に消耗品ビジネスとして継続するものの、企業の成長の視点からすれば限度があるとの考えから、昭和47年には現在のメインとなっている食品軽包装資材の事業に進出いたしました。食品軽包装資材に着目いたしましたのは、スーパーマーケットで使用していたトレー、ラップ等のプリパッケージ商品はそれまでは輸入が中心でありましたが、昭和40年代に入ってからは国内でも生産されるようになり、それを期にスーパーマーケットの店舗展開にもより一層拍車がかかっておりました。また、コンビニエンスストアの誕生とも相俟って、セルフサービス方式に欠かせないプリパッケージの需要は欧米並に拡大するのは必至で、そのため食品軽包装資材の需要は拡大すると見たからであります。
昭和50年1月には営業の主体が食品軽包装資材となったため、社名も現在の「株式会社 高速」に変更いたしました。
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